QUEENについて
クイーン(Queen)は、1973年から活動している、イギリスのロックバンド。

1973年にデビューし、現在までに15枚のオリジナル・アルバム、その他多くのライヴ・アルバムやベスト・アルバムを発表している。

1991年にリードボーカルのフレディ・マーキュリーが死去してからも、残されたメンバーによる「クイーン」名義での活動は断続的に続いており、正式に解散したことはない。また、ベースのジョン・ディーコンが引退してからも、ギターのブライアン・メイとドラムスのロジャー・テイラーの二人がクイーンの名を受け継ぐ形で活動を展開し、2005年からポール・ロジャースと組み「クイーン+ポール・ロジャース」として活動している。

フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury, 1946年9月5日 - 1991年11月24日):ボーカル、ピアノ。
ブライアン・メイ(Brian May, 1947年7月19日 - ):ギター、ボーカル。
ロジャー・テイラー(Roger Taylor, 1949年7月26日 - ):ドラム、ボーカル。
ジョン・ディーコン(John Deacon, 1951年8月19日 - ):ベース
基本的に全員がある程度ギターとキーボードを演奏することができるため、上記に当てはまらないケースも多い。誰が何を演奏したか詳細なクレジットがある曲、不明な曲がある。ライブにおいても曲によってスポット的な担当をすることもあるのでここでは割愛する。また各メンバーのページを参照のこと。

1982年4月のヨーロッパ・ツアーから、サポート・メンバーを加え、サイドギターやキーボード、一部バッキングボーカルを担当。

エレキギターをダビングすることによって作られる「ギターオーケストレーション」と、フレディ、ブライアン、ロジャーの3人のメンバーが声のパートを重ねることによって作られる、重厚な「オペラ風コーラス」が、特に初期に目立ったサウンド上の特徴といわれている。

そのギターオーケストレーションを生み出す源、ブライアンのハンドメイドギター、「レッド・スペシャル」は、当時100年以上前の暖炉の木から作られたといわれ、各ピックアップに対し独立したオンオフスイッチ、極性を入れ替えるフェイズスイッチ等、今までにないギターの音を作ることに成功した。重量を軽量化し、フィードバック奏法を容易くするための空洞も内部にあるが(ボディに空洞を作るとそこで共鳴する)、これ自体も、独自のサウンド作りに貢献している(このギターや彼の奏法の説明だけで、優に1冊の本が書ける分量になってしまい、実際にそうした書物も出版されているので詳細は割愛する)。

シンセサイザーを用いずにギターオーケストレーションで重厚なサウンドを生み出していることを明示するため、初期のレコードには「ノー・シンセサイザー」というクレジットがなされている。

クイーンのコーラスの録音方法については、「リードボーカルと重複するパートは、他のメンバーがバッキングボーカルをとり、リードボーカルがダブルトラックになったり、コーラスに埋もれてしまうのを防ぐ」、「スタジオ専用のサウンドエフェクターを駆使して音を厚くし、『ハーモナイザー』で倍音を加える」などといった、現在常識となっているいくつかの手法以外は、不明な点も多い。「最上パートはロジャーが担当することが多い」といった明確な部分は別として、特にオペラ風コーラスに際しては「1パートにつき3人で2〜3回ずつ重ねている」というある専門家の意見もある。が、正確にはメンバーとレコーディング担当スタッフしかわからない、企業秘密的な扱いとなっている。

また、メンバー全員が作曲ができ、作風もそれぞれ異なっているため、バリエーションの多様さが強みとなっている。


クイーンは正式に解散したことはなく、ロジャーとブライアンがそれぞれソロ活動を行ったり、残されたメンバーでクイーン名義でたびたび活動したりしている。ソロ活動においては、ブライアンは、クイーン時代の延長線上に当たる音楽を、一方、ロジャーは、クイーンとは異なったアプローチで、それぞれ音楽活動を断続的に続けていた(ジョンは、あまり目立った活動は行っておらず、2008年現在は音楽業界から完全に引退している)。

1970年代半ば、日本で最も大きな影響力をもっていたロック雑誌ミュージック・ライフが最大限のプッシュをしたこともあり、十代の女性の間で人気が爆発し、アイドル的人気を博した。

クイーンが日本で人気を獲得して以来、日本の様々なメディアにおいて「クイーンは本国よりもいち早く日本でブレイクした」という報道がされ続けている。初来日の際には、空港にファン1200人が集結しパニック状態になったり、武道館公演を成功させたりと、日本でも比較的早い時期から人気があったことは間違いない。そのことについては、メンバーも当時から現在まで、ことあるごとに日本のファンへの感謝の言葉を述べており、5枚目のアルバム『華麗なるレース』には、歌詞の一部を日本語で歌った「手をとりあって」も収録されているほどである。

親日バンドとされるクイーンのメンバー中でも最もフレディーは親日家で、来日公演時以外にも1986年秋にお忍びで来日して骨董品などを買い求めて行った。伊万里焼コレクターでもあった。新宿二丁目には生前行き着けのバーがあったという(出没!アド街ック天国2007年12月8日放送分より)。来日公演時のMCの半分は日本語だった。ロンドンの自宅には、日本庭園がある。アルバム『バルセロナ』の「La Japonaise」では歌詞の殆どは日本語だった。ハード・ロック調の楽曲から、オペラのような楽曲などさまざまな曲調を歌い上げること、正確な音程、幅広い声域(4オクターブとされている)、ライブでのパフォーマンスなどから、フレディーは世界最高のボーカリストの一人と評される。(wikiより)

<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。

w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]
無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ