環境をつくる

2019年05月21日 | ■病気に関すること■

ここ最近本当一日中追い込まれていて結構きつくて
限界が来ていた。

たとえば動画を撮っているのに、画面を追っていなくて
全く関係のない場面を撮り続けてしまっていたり、
(後で見てなにこれ?ってなる)、
ボタンの切り忘れとか、そういう、大したことではないような
ことから、体中のしんどさなどにくわえて、
脳が暴走していて止められないような感覚というのかな。
現実とは違う世界を見ていて強迫観念に支配されて
自分へずっと攻撃を続けてきて、
昔になっていた症状が、再び出てきた。
それは、突然何もおかしくないのに笑い出したり
何も悲しくないのに、急に一瞬だけ泣き出したり。

疲れているんだろうな。

これまでは、人が心配するから、とか、
「大丈夫?」って聞かれたりするのが嫌で
(大丈夫じゃないけど気を使ってそう言えないから)
なかなかできなかったけれど、
これは、あたしの命にかかわってくる問題だから
まずは自分を最優先しようと決めて、

まずは周りとの連絡の手段を一切経った。

これも相当悩んでいたことだけれど
迷惑をかけてしまうとか、色々。でも
最早そうは言ってられないから。

医者は徹底して休めというのだから
徹底的に休んだ方がよくないかなと。

遠い島国みたいなところへ行って、毎日
自然と触れ合いながら療養する、というわけには
現実的にはいかないのだから、
このいまいる場所で自分にとって快適な環境づくりを
まずはやっていかないと。

そういうわけで、おやすみモードへと突入した。

実際、今日実家にいるときに、買ったばかりの服を
着ていったらお母さんが欲しそうだったので、
何故かお母さんが着れる地味でシンプルでゆったりな
服をこの間買っていたのだが、それをあげた。
家の物をいくらか断捨離してみると、意外に落ち着いた。

つまり思うけど整理するっていいことかもしれない。

自殺する前にこれをやろう的なサイトを覗いたことがある。
どうしても辛くて辛くてたまらなくて、そのうえ怖いし
大変だった時に、気を抜いたら自分が死ぬかもしれないという
恐怖から、今生き延びるための方法を模索していたとき。

しょっちゅうある。死にそうなほど追い込まれるというのは。
それは、なってみて経験していない人には分からないものだ。

勿論ここからはあたし個人の意見だけど。
気が落ち込む、とか、この何日か辛かった、とか、
ショックで一時期酷かった、とかそういうたぐいのものとは違う。
そんなの人生に起きる出来事。
誰しも鬱は持っている、という論。それはそうかもしれない。
けれど、それは、「酷い落ち込みで何か月も仕事へ行けずに
ついには死にかけて、仕事もできないし行けないし、
予定も立てられず、いつ元気かもわからないので
生活に支障が出ている日々が続いた」のだろうか?
みなが鬱みたいなもん、気分のもの、だとしたら、
あなたはそれで仕事へ行けなくなったのか?という話なのだ。
引きこもって家から出られなくなったのか?

底なしなので、今一番下にいるなって言う状態はない。
今までで一番ひどい、はあるにしても。
下には底がない。だから落ちだすと大変なことになる。
のぼってくるまでに、どのくらいの期間が必要かは分からない。
当然、生活など普通にできるわけがない。

そういう経験がない人が落ち込んでいる状態と
病気の落ち込みは全く別物であり、
どっちが辛いとか、軽いとかもないし、
そもそもそういう議論でもない。
鳥と人間を比べているようなもので
最初からそんなものは一緒にされるものではない。

大事なのは、そこで相手は励ましを送ろうとしているし、
こちらはそれに傷ついたとしても、どちらも悪くはないってこと。
相手はもちろんだが、「傷つく自分が悪い」と思いそうになるけど
実際傷つくのは病気が悪いのであって、自分のせいではない。

ただ、理解するには難しい病気を持った人が
皆と同じようにはできないし、それを求められても無理だし
実際傷つくのだから、なんとかして自分を守らないと
自分しか助けられない。

自分は良くなると信じる自分にかかっているとあたしは思う。
だからあたしは一生治らないとあきらめることは絶対しないし、
治らないなんて、むしろあり得ないと思っている。
ただ時間が凄くかかるかも?しれないってだけで。

治っているのか、よくなっていっているのかなど
数値化できないし目にも見えないし、医者などにも分からない。
だからこそ目に見えない自分の力を信じる以外に道はない。
あたしはそう思っている。だから辛くて限界がきていても
やっぱり、諦めるわけにはいかない。

そもそも死にたいという感情が「疲れている」ことをそう
脳が錯覚しているとするなら、自分は疲れているんだなと
認識して、休む以外に方法がない。
かといって、動けないほどしんどい時は別として
普段からじっと座っているだけ、というのも逆にストレス。
頭が動いている限り、脳の強迫は続いたりするのだから、
やっぱり、散歩を続けたり、自分ができること、たとえば
SNSの更新などは続けられる程度に続けたいと思う。

自分のための最高の環境を作ろうと思う。
それはリラックスできる環境。
一時的にそういう環境を用意して安心できるようになってから
色々なことをやっていこうと思う。
ストレスを抱えた状態の選択肢はほぼ失敗ばかりだ。
だから、買い物へ行っても、お菓子とかくらいならいいけど
服とかそういうものは、いったん欲しいと思ったら店から出る。
そうやってストレスの中での選択を避けていく方がいい場面が多い。

ファクトフルネスには、
『「いますぐに決めなければならない」と感じたら
自分の焦りに気づくこと。いま決めなければならないような
ことはめったにないと知ること』とある。(ファクトフルネスより『』)

ただのストレスならまだしも、離人症になりそうな
感覚がしていて、相当きついのがわかっている。
その中で色々やろうとしたら焦りから失敗するだろう。
失敗しても別に構わないようなことだったら失敗は大いに
すべきだと思う。
だが、こういう状態の時の失敗とは、取り返しがつかない
失敗をしでかす。たとえば、選択が極端になる。
すべてをおしまいにする。とか、強制終了的な選択肢だけしか
ないようなところに追い込まれてしまう。
あたしはそれで前にも相当辛い思いをした。

ゆえに、まずは休むこと。「今」やらなければならないことは
ないと冷静に考えること。焦らない事。
そういうの本当に大事だ。

そしてこの症状が治まるまでしばらくは、
周りからそっとしてもらった環境で過ごそうと思う。
それに理解を示してくれて温かい言葉をかけてくれる
友人たちには本当に救われると同時に感謝しかない。

不思議なことに、ロキといるときだけは、
すごく安心している。動物って凄いなぁ。


この時期になって

2019年05月17日 | ■病気に関すること■
この時期になって、前にもあった症状がまた出ている。

ずっとフラフラ。眩暈がして、足に力入らない。
末端が冷えてくる。
眠いはずがないのに、ずっと眠気。
体中が熱があるみたいにダルくて重たい。
体中のあちこちが痛み出す。
まぶたが異常に重たい。
首が腫れる。
ダルくてしゃべるのもきつい。
頭がずっとぼーーーっとする。

これになると、大変なのだが
今日、全然分からなくて、「なんだこの症状は」
と不思議がって、やっと後になって
「あ、前にもあった」と思い出した。

とにかく、倒れそうな危機感がしたら
飴やチョコを食べたりして糖分を少し摂取。
そうすることで、ちょっとだけマシになる。
もしかしたら、梅雨が明けるまでは続くかもしれない。
色々準備しておかないと。

休まないといけないということ

2019年05月11日 | ■病気に関すること■

今日は昨日よりは生理痛がだいぶマシになっていて
薬を飲まずに過ごせた。嬉しすぎる。
しかしとても情緒不安定なので
こういうときは、何をどうやったって、
ネガティブから脱出できなかったりする。
ポジティブな機能が動かないのかな。

精神的な病は体にも出て、本当に大変だし
病気そのもの自体、見た目に分からないものだと
本当に苦労すると思う。
医者は休まないといけないというけど
休むと色々考えてしまうので、不安にもなる。

ところで休むということは、あたしには
周りに理解ある人がいたりして助けてくれるから
出来ていることであって、
それはとても感謝しなくてはならない。

と同時に、休まなくてはならない自分は
人に与えられているばかりな気持ちがしてきて
自分が虫かゴミのように感じてしまう時がある。

家のことをしたり、できる範囲のことをやっていても
結局、いつになったら、予定が立てられるようになるか
分からないと思うと、悲観的になってしまうこともある。
あたしは予定が立てられないから、苦労している面がある。
約束ができないし、仕事にいけない。
急に息が苦しくなって動悸やめまいが酷くなったら
休むしかなくなる。その時一人で家にいるならだれにも
迷惑はかからないが、仕事中だと迷惑になるし
その前に、そんな迷惑な人は雇わないのだ。

この世の中の仕組みについてはよくわからない。
だけど、精神的な病になっている人は多くいる。
そういう人が働きたくても働ける場所もなくて
ただ休むだけしかできないのだとしたら?

もちろん、休んでいる以外にできない時もある。
とても仕事などできないという状況の時もだ。
そういう場合は休むことが必要なので、今は
その場合の話ではない。

あたしの場合をたとえてのことである。

そもそも、「PTSD」の人は「こう」というくくりはない。
症状の典型的パターンはある。PTSDと判断する要素は。
でもその本人が、他の病気にもなっているとか(例えば鬱)
状況はいろいろで、一括りにできる枠など存在しない。

動ける時もあれば動けない時もあり、それは
分からないという不安定な場合の人は
もしかしたら明日には「とても働けない」状態に
なっているかもしれないし、「もっと元気」かもしれない。
わからない。予測不可能なのだ。

そんな人がじっとしているしかない場合
余計にしんどくなることはないだろうか。

それで今、自分はそれをなんとか面白いこと
に展開できないかな?と色々考えているところ。


生理痛

2019年05月10日 | ■病気に関すること■

今日は、生理痛。久々に重いのきてダウン。
最近は命の母を飲んでいて、
生理が楽に来るようになっていた。
予定日より早く来るが、生理痛も酷くならないし
助かっていたのだが、ここ1週間~2週間くらい?
飲んでなかったので、やっぱり、飲んだ方がよさそうな
気がするなー。

痛みが酷い時は、ナロンエースを飲む。
1回飲んで収まったら、あとはもう飲まないのだが
今日はちょっとキツイから一日で2回目。
飲んで眠くなったので寝てると30分くらいして目が覚めた。
まためまいとか動悸がして吐き気。気分も悪いし
1時間ほど、そんな具合で結構苦しかったな。
普段の時、この急に具合悪くなるパターンで目が覚めて
酷い時はしびれたり、吐いたりするのだが、
今回は、そこまではいかずにすんだものの
生理ということもあってか、腰もお腹も痛くてきつかった。

ごろごろしながら、途中で、お母さんと電話して、
読んだ本の感想などを話していると
やがて楽になってきて、なんとかご飯食べれるまで回復。

今日は昼間に薬を飲んだら楽になったので、ちょっと
散歩にも行ったのだが。薬がきいていただけだったらしい。
気分転換に近くのケーキ屋でケーキを買ってきた。
甘い物最高。

明日くらいまではゆっくりしていようと思う。


小さな達成感

2019年04月24日 | ■病気に関すること■
 
今日は24日。
平成最後って言うと
今年も終わりって言う年末のような感覚がする。
 
美容院へ行ってきた。
美容師さんとも そう言う話になった。
平成最後とか令和に便乗しまくってる
世間のこと。
 
ここ最近春らしい景色や風が気持ち良いが
昼間の暑さと、湿気の嫌な感じが
ちょっと辛い。
 
朝から散歩をしている。
30分歩いたらいいとか言うけど
あたしは5分でいいと決めている。
だいたい、少ししか歩かない時でも15分は歩いているが
5分でいいと決めていたら、行く前に
面倒くさいなって気分に陥らない。
雨でも5分なら、歩けるし。
よっぽど体調悪くない限りは。
 
別に毎日行かないといけないという
決まりはないので体調不良も織り込んで
朝の散歩を計画している方がいいだろうなと。
 
タバコをやめたい人や
お酒をやめたい人などへのアドバイスで
小さな目標を設定して達成すると
自己肯定感がプラスになると言うものがあって
 
あたしにとっても、何かやめたい訳ではないが
小さな達成感を得ると言うのは
心の病に良いだろうと考えて
ハードルの低い活動を始めることにしてみた。
 
また、別の情報では、鬱の人たちは
漠然とした抽象的な目標感を持っていると言う
ものもあった。
 
こうした情報の信憑性はわからない。
ただそうだと仮定したら、
漠然としたものに対する怯えのようなものって
人間誰しもあると思うのだけど
あたしの場合、
漠然と抽象的な目標感は
漠然と抽象的な未来感でもあるかもしれないなと考えた。
その曖昧なものの正体を突き止めるために
分析しなくてはならないと思った。
 
あたしは怖くて気絶しそうになることがある。
突然、爆発するかもしれないとか
(それはガソリンスタンドにいれば、その場所が。
台所にいれば、ガスコンロがと言った具合にだ)
そして実際には、爆発しないのだけど
自分はパニックに陥っている。
 
例えば、その中身を一つ一つ分析していく。
●どれくらいの確率でそう言うことは起きるか。
●また、実際に爆発の怖さは未経験なので
怖い感覚は幻想に過ぎない。
と言うふうに。
 
もちろん油断は禁物だけど、
曖昧なものに対しては徹底的に分析するようにして
まず現実をクリアにする。
 
分析のことは置いておき。話を戻す
 
小さなハードルは
ポジティブな活動になっていると思う。
朝から散歩に行く5分。
それ以外にも、結構無限に作っていける。
 
例えば筋トレしてみよう、なら腹筋5回。とか。
5回ほどした程度で意味ないって思って
やらないくらいなら
5回を毎日やったほうがいいと思うな。
だんだん慣れてきて、10回とかになってるかもしれない。
 
一年とかのスパンで見たら
ゼロの人との差は相当出るだろう。
 
小さな達成感によって自己肯定感が増せば
自信が持てるようになって
もっと色々な道が広がって行くはず。
 
しかし。あたしが忘れてならないのは、人生は
映画と違って、そのままハッピーエンドはない。
病気がいきなり治ってるわけでもなく
不機嫌、体調不良、悲しい、そんな日も
あるに決まっているので
自己肯定感をあげるために努力することと
それがそのまま全ての解決とはまた違うと
思っていないと、むしろ逆効果になってしまう
気がする。
 
この小さなポジティブ活動とも言うべきものは
ただ冷静に、特に期待するようなものでもなく
淡々と進めていくべきではと思っている。